AIを使うと,なぜ「速くなった気がする」のか
METRのランダム化比較試験は,熟練開発者の作業時間が19%長くなったと報告しました. ところが同じ人たちは**「20%速くなった」と感じて**いた.39ポイントのズレです.
このズレは,どこから生まれるのか.時計を3つ並べて見てください.
AIを使うと,なぜ「速くなった気がする」のか
同じ12個のタスクを2人が並走。右の人だけAIを使う。時計を3つ見てください。
いちばん右:いまの δ のままで「AIなしより20%速かった」と感じるには,「自分で書いたら 1.00倍 かかったはずだ」と見積もっている必要がある,という意味.δ を上げるほどこの数字は大きくなる=待ち時間をきちんと数える人ほど,反実仮想を盛らないと『速くなった』とは感じられない
何が起きているのか
体感時計は「待ち時間」を数えない
AIが生成している2分間,人は**別のことを見ています.**Slackを見たり,次の設計を考えたり. その時間は「自分がタスクに費やした時間」として記憶に残りにくい.だから体感時計は止まったまま進みます.
δ(デルタ)のスライダーがこれです.0%にすると,待ち時間をまったく数えていない状態になります.
体感時計は「やり直した分」も数えない
AIの出力が使い物にならず捨てたサイクルは,「なかったこと」になりやすい. 完成したコードだけを見て「これをAIが書いてくれた」と評価するので,そこに至る失敗は勘定から落ちます.
q(やり直し率)を上げてみてください.実測時計だけが伸びて,体感時計はあまり伸びません.
そしてレビュー係数 ρ が,速いか遅いかを決めている
AIは「書く」時間をほぼ0にします.代わりに「読んで直す」時間が増える.それが ρ です.
**自分が熟知したコードベースほど ρ は上がります.**自分の基準に合わせるコストが高いからです. METRの被験者が熟練開発者・自分のOSSリポジトリという条件だったことは,偶然ではありません.
結論:「速くなった気がする」は錯覚ではなく,別の時計を見ている
体感時計が嘘をついているわけではありません.測っている対象が違うだけです.
- 実測時計:待ち時間もやり直しも全部数える
- 体感時計:自分が能動的に手を動かした時間だけ数える
AIは「手を動かす時間」を減らし,「待つ時間」と「直す時間」を増やします. だから**体感は速くなり,実測は遅くなる.**両立します.
そしてここが実務上の含意です.ρ が低い領域──自分が詳しくないコード,書き捨てのスクリプト,定型作業──ではAIは実際に速い. 逆に**自分が一番詳しいコードで使うと,一番遅くなる.**スライダーを動かすと,その境目が見えます.
ファクトと出典
元になった研究
- METR のランダム化比較試験(熟練OSS開発者16名・246タスク) METRブログ / arXiv:2507.09089 / データとコード
- その後の実験設計の見直し: Changing our Developer Productivity Experiment Design
このモデルが置いた仮定(ファクトではありません)
- プロンプトを書く時間:4分/AIの生成を待つ時間:2分
- タスクの所要時間は対数正規分布(中央値120分)
- ρ(レビュー係数)・q(やり直し率)・δ(待ち時間の体感率)はスライダーで可変
METRが報告しているのは「19%遅くなった」「20%速いと感じた」という結果だけです. 上の3つのパラメータはこのモデルが導入したもので,論文に出てくる数値ではありません.